自転車日本一周記

4月16日   雨(第一日目)
東京都―(16号)→山梨



お風呂場、鏡の前。
腕を組んで考える。
「ルージュの伝言」で、ユーミンは口紅でどんなメッセージを書いたのだろう。
僕は、旅に出ることにした。その最初のネタとして、バスルームにルージュの伝言を残すことにしたのだが、
ふとそんなことに思い至った。
 歌詞からすると、深刻なメッセージはありえない。
畏敬する中島みゆきなら、「うらみ・ます」とか鏡に書き殴って樹海に行っているだろうし、
石川さゆりなら「私は帰りません」とか書いて津軽海峡冬景色だ。
間違っても実家に帰って叱ってもらうわマイダーリンはない。
 まぁ、どうでもいいか。
お風呂場から出た。よく考えたらルージュの伝言とか絶対怒られる。
めんどくさい。

 ベッドの上に寝転び、ぐだぐだしていた。
前期の授業が始まって、一週間弱。気が向いたら大学へも行ったが、基本的にはただぼけっとしているだけの日々だ。
 することがない訳じゃない。旅をする予定がある。日本一周、自転車の旅だ。
準備もそろっている。あとは、旅立つだけ。
しかし、雨がここ数日、降っていて、決心がつかない。
じゃあ、大学に行くのか?それは嫌だった。
細かい、柔らかな雨だ。酷い降りじゃあ、無い。
行動は早かった。準備はすぐに終わった。
着替え、タオル2枚。ズボンは‥今はいているこれひとつでいいか。
工具と、予備のチューブ。ヒマつぶし用の、聖書(原著)。テント、寝袋エトセトラ。
自転車のサイドバッグに詰め込んで行く。食料は後で買う。
そして、一眼レフカメラ。写真を初めて一年。まだ2、3回しか使っていないNikonD80だ。
この旅のメインの目的のひとつ。廃墟の写真を撮るためのものだ。
シャッターを押せば撮れる、くらいしかしらない僕には過ぎた道具だけれど、後悔はしたくなくて、買った。
これで、撮れない写真はほとんど無い筈だ。
レンズはNikkor 18-200m、タムロンのマクロ60m。
旅費以外の殆どのお金はこいつにつぎ込んだ。かなり良いレンズだと思う。
初心者にはもったいな過ぎるくらいの逸品だ。できれば35mmの単焦点も欲しかったけど。

家族は家にいない。僕が今日旅にでることも知らない。
今日決めたのだから、当たり前だけれど。
母親がうるさく止めるだろうから、報告は事後でいい。

雨の中、自転車の整備もせずに、ペダルを踏み込んだ。
(車の修理屋の息子とは思えないな)
まぁ、いいか。こげればいいのだ。

まず、僕が旅をすると、親戚などから「お父さんの子だからね」とか言われるのだが、これを否定しておこう。
うちの親父は、バイクで世界を半分くらい回っている。
内戦中の国を通り、宿でメロン食ってたらその宿が軍の戦場になったり、
寝てたら銃で叩き起こされたり、日本にいられなくなったヤクザと、大学生の青年と旅をしたり、
酒を他国に持ち込んで売って利ざやを稼いだり、
外人を騙してアメ横で買った時計を高く売りつけたりしていたらしい。
その旅の時の、タバコ一箱と交換したという、砂漠の薔薇が今も棚に載っている。
そんな、彼の影響を受けたと言う人もいるので断固否定しておくことにする。
僕は常識的な紳士だからである。

雨に濡れながら自転車をこぐ。濡れるのは鬱陶しいけれど、雨自体は大好きだ。
それに、知り合いに会うと恥ずかしいな、と思っていたけれど、雨のおかげでその可能性は低そうだ。

雨は良い。優しい人といるみたいに、何もしゃべらなくてすむから。

いつもの風景の中を、サイドバッグを4つも自転車にくくりつけた僕が行く。
目立つのは正直嫌だけど、しかたない。
愛用のコロンビアのウィンドブレイカーが水を弾く。
ゴアテックス素材のお気に入りだ。

コンビニに入り、ジャンプその他週刊誌を読む。
そして、地図を立ちよんでルートを確認。

少しずつ、見慣れた風景をあとにする。
思いがけず、寒い。
スーパーを見つけ、食料をゲットすることにする。

調味料と、スパゲティ、野菜、レトルト。
膨らんだビニール袋を持って外へ出た、その瞬間。
鞄からデジカメが落っこちた。

頭が真っ白になった。
拾おうとして、鞄の中からさらにタムロンのレンズも落っこちた。
降り注ぐ、雨の中。レンガの上にたたき落とされた一眼レフが、水に浸っている。
電源を、入れる。
_______________起動しない。

夏休みの、労働の結晶‥が。胸が、痛い。耳が熱い。雨の音が聞こえない。

落ち着いて、電池ケースを見る。
緩んでいた。閉める。

どうだ?

‥ついた。ため息をつく。
他に問題点があるかもしれないが、とにかく、シャッターも切れる。
なんとか撮ることはできそうだ。
 カメラを鞄に丁寧にタオルでぐるぐるにまいて、入れ直した。

初日にして、旅が終わるかと本気で思った。

この後、このロクでもない雨が十日近くずっと降り続くことを、僕は知らない。

方角は山梨へと向かうことにした。
理由は特にない。ミレーの肖像画とヨンキントの絵がみたいというのが理由かもしれない。
ルートは全く未定だ。決める予定も無い。
雨の峠を無言で越え、進む。
日は暮れてきたけれど、泊まるところはみつからない。温泉は休み。
白い息が散って、体温が零れてく。
僕を抜き去って行く車も、白い息をはいてなんだか辛そうだ。わかるよ。

「初狩駅」
もうまっくらな時間に、その駅をみつけて、入り込んだ。終電まで、あと数本。
料理する気力が起きず、近くのコンビニでカップ麺を買う。
キムチラーメン。うまい…うますぎる。
びしょぬれのウィンドブレイカーを脱ぐのも忘れて、がっつく。
駅の料金表をみると、見慣れた八王子駅まで、数百円分の距離だった。
だっせぇ。苦笑いした。
うん。食べたら元気でた。がんばろう!
やる気が出てきたところで、天気予報だけチェックして、駅のベンチに寝転がる。

____天気予報に、雪のマークがいっぱいあるよ☆


線路に咲いていたチューリップをためし取りしてみた。
第一日目、終了。


 第二日目 4月17日 第二日目 山梨


 再び、雨。始発の電車が来る前に、駅のすみっこにいって朝食を作る。
米を炊いて、おみそしるとカレーだ。
らん、らんらららんらんらん♪らん、らんらららん♪
ナウシカレクイエムを歌いながら待つことしばし。
米を蒸らしている間にネギを切ってお味噌汁。
カレーをあたためて、できあがり。
さすが僕。
…うわ米芯残ってる。焦げてる。固。炊飯失敗。まずい。
しかし、寒い。シェラフをケチって安いのにしたのと、マットを持ってこなかったのが痛い。

山梨入り。
山梨大学で学食を食べる。そぼろ丼。
清潔感があって素敵。ホット麦茶があった。
続いて、山梨美術館。ここは、僕が世界でいちばん好きな肖像画
ミレーの「ポーリーヌoVoオノの肖像」と大好きなヨンキントの風景が「ドルトレヒトの月明かり」がある。
どちらも、本物をみないと良さは全く伝わらない。
僕のまわりの空気ごとすいこまれてしまいそうな力を持った絵だ。

美術館で元気を少し補充したものの、昨日のキツさを僕はまだ引きずっていて、
加えて旅への不安が募っていた。
なんでこんなことしてるんだろう、と思い始めていた。
旅を初めて1ヶ月くらいで感じる予定だった感情を、恐ろしいほど前倒しで感じてしまった。
何がしたいんだろう、ほんとうに。
雨は、降り続く。身体が湿って重い。
川のそばの公園で野宿。50kmほどしか進めなかった。

炊飯に再び失敗。おかしい。色は完璧なんだけれど、生煮えだ。
旅に出る前に練習したときは、完璧だったのに。
ガスコンロじゃなく、ガソリンのコンロで火力調整が難しいのもあると思うけど。
じゃがいもとたまねぎのコンソメスープを食べる。

深夜、2:00。寒さで目が覚めた。足が、冷たい。
出発する前、おばあちゃんに冷たい態度をとってしまったことをなぜか思い出して、悔やんだ。
寝返りを、うつ。と、突然、吐きそうになった。
喉に、さっきの食事と胃液があがってきて、喉がひりつく。それを我慢しようとした。
すると、いきなり呼吸困難に落ち入った。
「あ゛ぃぃいぃぃい?ぅぅ」
よくわからない音が喉から出るだけで、吸っても呼吸ができない!
喘息!?
(落ち着け、落ち着け。)
苦しかったが、無理矢理息を吸おうとする気持ちをねじ伏せ、とっさに息をとめた。パニックになるな。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・げふっ」

小さなげっぷが出たあと、喘息はおさまった。
 しばらく、呼吸が落ち着かず、一時間ほどふるえながら息をしていた。
寒くて眠れない。
雨がテントを打つ。





next
記事一覧へ
back

inserted by FC2 system