自転車日本一周記
4月28日 第13日目  滋賀県

4:30起床。装備を調える。
5:50頃、昨日下見にきた場所に到着。
潜入を開始する。
が、私有地の道路らしく、撤退。
バックライトのついた軽トラックと遭遇した。

別ルートと思われる場所にいくが、行き止まり。
仕様がない。草むらの影に自転車を隠し、
山行をすることにした。

道は無い。シダをかき分け、ツタを払い、進む。
しかし、手入れの入った山だ。さして歩きづらくもない。
足下に、まだ新しい動物の糞をみつけた。
猿や犬などのものではなく、兎よりも細長い。
 鹿か何かだろう。

 その予想が正解であることはすぐにわかった。
目の前を鹿が何頭も通り過ぎていったからだ。

現在地も、目標までの距離もつかみにくい。
山行は一時間を過ぎていた。近場の木に登るが、よく見えない。
(方向はあっているはずなんだけどな・・・)
そう考え、木から降りて数歩。

__観覧車が、見えた。
間違いない。アレだ。こんな森の中に。
そこからしばらく歩くと、植生が変化した。
そして、丈の長い雑草が生え、木は少ないエリアがある。
間違いない。道路の跡だ。

もう日はすっかり昇っていた。

 あまりにも細い、木々の間の道の先に、観覧車はあった。
レトロな色合い。動いてはいない。




さて、どんな風に写真を撮ろうか、そう考えた時

___________動いた。




オーケストラの音あわせのような音を立てながら
左へ、右へ。
おっくうそうに、どちらに進むか迷うように。
まるでどこかへいけるとでもいわんばかりに。
回る。廻る。






もう人を乗せずともよくなったこの観覧車は、
今も孤独を感じているだろうか。
それとも自由を感じているのだろうか。





 僕は今、公園にいる。
ついているはずだった、京都にはいない。
なぜなら、また、車に撥ねられたからだ。
そしていま、やるせない気分で夕焼けの中、突っ立っている。

僕をはねた人は、いい人だった。
撥ねた僕に話しかける手は、声は、震えていた。
こちらが申し訳なるくらいに、よくしてくれた。
病院へ行き、警察へもいった。
 駐車場から出てきて、一時停止しなかった車にぶつかったのだ。
自転車は前輪のフレームが歪んでいた。
フレームにきていれば、後々支障がでる可能性が高い。
体は手が少ししびれている程度で済んだ。

 しかし、彼女の父親がきて、状況は変わった。
彼は、僕に同じことを何度も聴いた。
それに僕が応えると、興味なさそうに一言答えた。
明らかに、話していないと気まずいから適当に会話をしている。

 彼は僕をうっとうしがっていて、とっとと終わらせたいという雰囲気でいっぱいだった。
僕の壊れたホイール、タイヤにしても、最初から
「別のパーツじゃダメなのか」
「この自転車がダメだったら、別の代車でいってもらうとして」
と、何度も繰り返し言い、そのたびごとに同意を求める。

僕は、我慢した。状況を説明し、笑顔で話した。
前輪は交換したが、後輪と全て違う種類のもになった。
僕は自転車に詳しくない。フレームがゆがんでいるかもしれないし、
後輪もゆがんでいるかもしれない。後輪も同じ物にしたい。
自転車屋さんは、フレームは今はシーズンで忙しいからチェックできないという。
不安で、自転車屋さんにいろいろときこうとするが、彼は
「これで走れますね。」
といった。僕は笑って、お金が余計にかかってしまいますから、
できるところは自分でやります、というと
「そうして」
と言った。駐車場でひとりで修理した。

 彼は最初から最後まで僕にこう言っていた。
「あなたが、事故を起こされた訳でしょう?」
違う。僕は、左車線の、自転車可の歩道をこいでいた。
でも、申し訳なさそうな彼女をみて、文句をいうことを自制した。
 誰かに電話をするときも、僕のことを「変な人」呼ばわりし、僕を加害者のように
無神経な言葉を言っていた。病院へ向かう車中で、運転席の僕をはねた娘さんが、ちいさく謝ってくれた。

 僕はお得意の愛想笑いをずっとずっと使って対応していたけれど、
もう疲れて、無表情になった。

修理を終えたが、まだ整備もしていないし、もう太陽も沈む。

 できれば調整をしてから休みたい。
日が沈む前に休める場所に行って、整備したいというと
「あそこではダメなんですか」
と、自転車屋さんのご厚意で今整備のために一時的にお借りしている駐車場の隅を指さした。
・・・。
近くの公園まで送ってもらう間。
「これからの連絡は全て、保険会社を通じて行ってください」
その間、いくらさらに修理費が必要になるかわからないから、立て替えておいてくれ、とも。
こちらが何をいっても、この人は聞いてもくれないな、と思った。

一度、娘さんが僕の代わりに怒ってくれた。
彼女は、本当にいいひとだった。
彼女は教師らしく、そのことがわかったから、「警察にいくのはお仕事に影響がありませんか」、
と聞いたとき、「大丈夫です。私が悪いんです」と答えた。
それなのに僕は最低のことをしてしまった。
こういう時、いつもお人好しと僕は言われていたから、僕はごねてやろうと思ったのだ。
僕の愛車がこれからどうなるかもわからないし、後輪の代金も払って欲しい、と言ってみた。
「お金はいいんです。でも、立て替えるにしてもキャッシュカードがいま使えないんです。
後で異常が出たら不安なので後輪をそろえたいので、そのため必要になる後輪の費用だけでもいただけませんか」
反応は異常に早かった。言い終わる前に、
 財布を出した娘さんを制し、
「ダメです。それはあなたの都合でしょう?
これまではさせていただきましたけど、これから先はすべて保険会社を
通してもらって_____」
有無を言わさぬ言い方だった。
僕は、自分を恥じる前に、彼に嫌悪感を感じた。
僕は被害者だが、彼女にも彼にも敬意を払った対応をしていたと思う。
でも彼は、僕をうさんくさい人と決めつけ、最低限のそれすら払わない。
それどころか、間違いなく僕に敵意を抱いている。
僕はあなたたちの都合で今日一日、つぶれたのですが。
いいかげん、言い返そうとした。

「すみません」

小さなちいさな声で、娘さんが謝る声が聞こえた。
胸が、痛んだ。
もういいや、と思った。
車のシートに深く、座り直して下を向いた。

道路2本。電車に挟まれた公園。およそ野宿なんてできそうも無い場所についた。
他に場所はないか聞くと、
「私どもは、野宿に向いている場所なんてわかりませんので、これで。」
僕に背を向ける。
「他の場所は。僕は地元のひとではないから、わからないんです。」
「じゃあ、仕方ないですね。」
もういい。もうどうでもいい。
荷物を降ろす。事故の最初からさいごまで、彼は僕の荷物や修理を手伝おうとしなかった。
娘さんは手伝ってくれたが、手が汚れるから、僕が全てした。
 早く帰りたいのか、その彼が降ろすことだけしようとしていた。
車内にいるときに僕の荷物を雑に押しのけていた記憶がよみがえる。
雑に扱われるのも怖いし、さわって欲しくない。
「やめてください。けっこうです。自分でやります」
自分の声に、感情が入り始めているのを感じる。こんなの、本当に中学校ぶりだ。
僕は感情が普通の人よりずいぶんと薄いらしい。何も好きにはならないし、嫌いにもならない。
だけど今は、胸がくるしい。耳が熱い。
彼は僕の気持ちの想像なんてしないし、興味もない。

今は休日だから、保険会社はやっているのかときく僕に、彼は「やっているに決まっている」と答えていたが、そんなことを言っていないと言い張った。
娘さんが証言してくれたが。
僕のいった言葉なんて、何も記憶していない。

 最後に、娘さんにお礼を言った。彼女には本当につらい思いをさせてしまった。
僕の滞在費まで出すといってくれた彼女に。僕と彼の間で、いちばん苦しんだのは彼女だ。

 もう夕焼けの色もずいぶん濃くなった。
お昼ご飯も食べられず、警察やらにいった僕に、彼が買ってきたコンビニパンを差し出した。
「食欲が無いので結構です。」
「あ、そうですか。」
吐き気がする。

最後に、ひとつだけ。彼を試してみることにした。
「僕は、この旅に3年をかけました。それは__」
「いや、私どもはあなたの3年なんて知りません」
また、僕が言わないうちに遮った。

 違う。違うんだ。僕は、僕なりにした努力や、大学への不安や、家族への気兼ねなんかを彼に打ち明けるつもりなんて、さらさら無い。
ただ、彼が僕の話を話しを聞く姿勢を持っているかどうか確かめたかっただけなのだ。
「違うんです。僕はただ、あなたに僕の話を聞く姿勢を持って欲しかっただけなんです。そして、あなたはこんな態度をとった」
言ってしまった。言うつもりなんて無かったのに。耳の熱と、吐き気と、苦しい呼吸が僕を急かした。
本当は、ここで笑ってさよならを言うだけのつもりだったのに。
「それは、すいません。」
彼は軽く適当に謝った。
そのあと、なんと言ったかは憶えていない。
ただ、何を言っても
「そのことについては、あやまりました。他に仕様が無いでしょ?」
と帰ってきた。耳が熱い。耳が熱い。息が、苦しいんだ。

どうしようもない、根本的な壁を感じた。
 娘さんが、彼を手で抑えた
「すぐに食べられるものです」
そういって、コンビニパンの袋を差し出してくれた。
でも、拒んだ。
僕なんかに優しくしてくれた彼女を、僕は拒んだ。

荷物を降ろし、それらをひたすら車から隠れる影へと運んだ。
一度も振り返ることはなかった。

気がつけば、彼らはいなくなっていた。

耳が熱い。耳が熱い。耳が熱い。頭が重い。
苦しい。苦しいんだ。
誰か誰か誰か誰か誰か誰か
誰か誰か
誰か誰か
誰か誰か
誰か誰か
誰か誰か

僕を好きだと、言ってください。

嘘でもいいから。だましてくれるならそれでいい。
生まれて初めて、誰かに一緒にいて欲しいと願った。

ふと、気づいた。
自分の心が求めているのは僕にとって都合のいい"誰か"であって、
具体的な人間は、誰も、一人も、浮かばない。
家族も、友人も、人生で一度だけ恋かもしれない感情を抱いた女の子も、
僕を好きだっていってくれたあの子も。

________ああ、そうか。


            だから、僕はひとりなのか。


どこにもいけない。夜が来た。もう日は落ちた。
家族連れや、カップルたちがそれぞれの家へ帰って行く。
あの夕焼けの中の、誰もいない公園と、少し泣きそうになっていた娘さんは
忘れっぽい僕も憶えている。

物心ついたころから存在する僕の客観が、僕をじっとみつめる。
それだけで、僕は落ち着いた。さびた蛇口みたいに、もう何も溢れない。
ただ、皮膚がほんの少し寒さのようなものを感じて、粟立った。

普段、他人を拒み続けている僕が、必要な時だけ他人を求めるなんて虫が良すぎた。
彼にも言ったが、彼は娘を守ろうとしているのだろう。
結果的にそれは裏目に出ていなくもなかったが、彼は人を想える人間なのだ。
だって、僕とちがって彼には愛した人間も、娘もいるのだから。
正直に言えば、(あんな人が愛されるのに)。自分を棚にあげて、そう思った。
寝場所を探す。
公園の更衣室のようなところに行くと、入り口のドアの硝子が破られていた。
鍵のすぐ上に穴が開いている。荒らしらしい。
どうやら、ここですら休めないらしい。
警察に電話して、自転車にまたがった。

適当な場所で眠る。
朝4時から何も食べていないが、何もする気力が起きなかった。
頭の中に、あの観覧車が浮かんだ。
誰にも求められていないのに、どこへもいけないまま、赤く錆びた悲鳴を上げ続ける、
あの観覧車。


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