自転車日本一周記
4月29日 第14日目 大津(滋賀県)―(1号)→京都

 楽しみにしていた、京都。でも、ゴールデンウィークで人が多く、楽しみにしていた千本鳥居もあきらめた。人混みにうんざりする。
 人の多い千本鳥居なんて、頼まれてもいきたくない。
適当に美術館に入るが、気が乗らない。



 昨日のことを、引きずっているから。
日記を読み返す。いままですかすかだった日記に、小さい文字でびっちりと、昨日だけは書き込まれている。
僕の一方的な見方でかかれたこの日記は、ずいぶんと身勝手に書かれているのかもしれない。僕にもまずいところはあった。
だけど、彼は彼女を守ろうとしたのかもしれないが、彼女を傷つけたし、加害者であろうと、被害者であろうと人への礼を完全に失していた。
気持ちが重く、何も楽しめない。




寺巡りのついでに美術館も覗くが、やはりダメだ。









京都国立美術館の岡本神草の「鼓を打てる三人の舞妓の習作」や、福田平八郎展、
今井憲一の「砦」や金田辰弘をみたときだけ、心が動いた。



そして。何必館。
「線」に出会った。
元々、線の一本一本の大切さを意識することが多かった。
それは、デューラーのエッチングをみて感じたり、デジタル一眼レフであっても、
シャッターを連射したりはしない僕の性格が現れているみたいだけれど、

ここで。
山口薫の「あるときある日白い雨」という作品と出会った。

"残しておきたいものがある。

私の手垢である

自分のために

描くことがデッサンか

消すことがデッサンか

両方とも消すことのほうが多かった

それらはみな 涙であったかもしれない"

メインの方の絵を、僕は残念ながらしっかりと憶えてはいない。
この詩を、必死に日記帳に鉛筆でがしがし書いた。

描いた線に、責任を持つこと。

それは、自分のために存在してくれた線に感謝し、愛すること。
この言葉に出会って、僕は何かを描くことに憧れを抱いた。

救われはしなかったが、昨日のことを一瞬忘れられはした。

芸術家の一筆、ノミの一打、ひとつのシャッター、詩人のワンセンテンス。
その一つ一つが、愛だ。
無為になる愛があるなら、それが涙だ。

いつかもっとマシな絵を描こう。ピアノも弾こう。そのために今、
もっとマシな写真を撮ろうと思った。

そのために、僕はこの詩を、自分の言葉で語ることにした。

たった、一行の詩だ。



"シャッターを切る数は、「好きだ」って言った数"








竜安寺石庭を視た後、国道9号を探すため、路地に入ると
銭湯を見つけた。
 人間がいっぱいいる石庭などわびもさびもない。と、さらに憂鬱になっていた僕にはとてもうれしかった。入浴準備をしていると、おっちゃんがきて
「どっから来たー?」
と声をかけてくれた。
脱衣所で福を脱ぎながら話しをしていると、
おっちゃんが今風呂場から出てきたばかりのおじいさんに僕のことを話した。
「今日、どこで泊まんの?」
「まだ決まってませんけど、どこかの公園とかで野宿です」
「じゃあ、これも縁のもんやから。うちに来(き)。京都は夜、冷えるで。」
何でこんなにあっさりそんなことをいえるんだろう。
ほんの、数言しか話していないのに。
 厚意に甘えさせてもらうことにした。
いま出たばかりなのに、おじいさんは僕といっしょにまたお風呂に入ってくれた。
大急ぎでお風呂に入る。幸せだ。
シャンプーの甘い匂い。せっけんをたっぷりつけて体を洗う。
熱いお湯で体がほぐれていく幸せ。
あがって、おじいさんのスーパーカブをチャリでおっかける。
 某国宝の寺のそばらしい。
某国宝に到着。その目の前の通りを隔てた道路で、
おじいさんが止まっている。
信号を渡り、自転車の僕が先行しようと
先へ進もうとすると、声がする。
振り向くと、さっきの場所にまだおじいさんがたっている。
「ここや。」
某国宝の、目の前だった。
おおお。玄関のドアを開けると、国宝よ、こんにちは。


おじいさんの名前は、ヨシカワさん(仮名)
名前は僕の好きなプロダクトデザイナーといっしょだ。
2人のお子さんがいらっしゃるが、彼らは二人とも海外へいっていて、
妻には先立たれ、一人暮らしだ。
長男はニューヨークにいっているエリートさん。
次男はオーストラリアのスシバーで修行中。
ヨシカワさんが少し席を立つ間に、行儀は良くないが、部屋を見渡す。
部屋の机には、「国姓爺合戦」の本。ビデオは歌舞伎。
CDラックには、クラシックと、ルイ・アームスロング。ジョン・デンバー。フランク・シナトラ。
オンリーザロンリーな僕には心温まるようなセレクション。このお方、相当なインテリだ。
クラシックはブラームスがお好きらしい。火鉢もあって、すてきな部屋だ。
「呑むか?」
そういってヨシカワさんはビールを持って戻ってきた。
正直炭酸が苦手なのでビールは苦手だが、
飲まないはずがない。
お風呂上がりにいっぱい
『出会いに。』
Cheers!
あれ?今までまずいとしか思ったことなかったのに、なぜかうまい。

今日は日曜日。日曜は近所の幼なじみと食事をするのが決まりで、
僕もそれにお邪魔させていただけるらしい。恐縮です。本当に。

ヨシカワさんのお友達がいらっしゃるまで、ヨシカワさんと話す

 これからは特に福祉の現場に外国人が流入し、福祉士たちや介護の人たちの収入の低下に伴い社会的地位の低下が心配だ。とかなぜか福祉の話しになったりしても
「そうやなぁ」
と、上手にヨシカワさんは聞いてくれる。
今興味があることを聞かれ、「瞽女(ごぜ。盲目の旅芸人。)の唄を聴きたい」というと、
「変な若者やな」といい、やさしいしゃがれた笑いをしてくれた。
小生、瞽女のCDも持っておりますが。八百屋お七はあるけど葛の葉の子別れ無いんだよな。
 映画の話しもした。「第三の男」がお好きらしい。
ヨシカワさんは好きな物を「好っきゃなぁ」という。僕はその言い方が大好きだ。


 幼なじみのオオモリ(仮名)さんがいらした。
お邪魔させていただく、お礼をする。
 
いざ、夕食へ。
徒歩数分。映画村の目の前の「侘助」というお店。
良い名前だ。礼がある。
 懐石料理のように、少しずついただく。
はじめの3皿はせりのごま和え、豚とねぎとキムチをあえて炒めた物、生のほたるいか。
気取っていなくておいしくて幸せすぎる。ヨシカワさんがイカを「眼も食べるんか」といって戸惑っているのが楽しい。
 久々に繊細な味。正直昨日のことをひきずっていて、京都を全く楽しめていなかったけど、ヨシカワさんにあってから、
もう、そのことを感じなくなっていた。

 次に天然のこごみと、タラの芽の天ぷら。
楽しい苦みが焼酎にあう。
ママさんも、缶ビール片手に加わった。
「今、天然物はなかなか手に入らないよー」
「ルートがあるんですか?」
「ううん。取りに行くチームがあるのよ。
私は収集係。最近は量が減ってね。」
「最近の業者。タラの芽を全てとっちゃいますからねぇ。
一つ芽を残せば来年も採れるのに。」
「・・・あんた。業者?」
いえ。田舎者です。

料理人まで加わり、宴は続く。
サービスで鱧の天ぷらが加わる。鱧の間に大葉と味噌を挟んでいる。
噛むと、熱く、甘じょっぱい味噌が出てくる。
 僕にさらに、ご飯と、手羽元をパインといっしょに煮たオリジナルメニューが出てくる
焼酎もう一杯!
 ご飯をおかわり。今度はタケノコがついてくる。
うまうま食べながら、オオモリさんの話しを聞く。
 彼はヨシカワさんと60数年のつきあいになるらしい。
ずっといっしょのおさななじみだ。
 僕は小さい頃は地元から離れた幼稚園に預けられ、小学校では学童保育所に預けられたから、
そんなものはいない。保育園のころから、基本的にはずっと一人で遊んできた。
ちょっと、うん。
すごくうらやましい。
 小さな一皿が置かれる。花山椒というらしい。
食べると、しっかり漬けられた梅に負けず、山椒の強い風味が広がる。
これは、おどろいた。
「これ、すごいいいものじゃないですか?」
「ええ。高級食材ですよ」
いやもうほんとうまい。
プリア・サヴァランもかくやというくらい食べた。
ほろ酔いで、帰宅。
3:00〜6:00まで、ヨシカワさんは新聞配達らしい。
しなくても大丈夫だが、趣味になっているらしい。
すごい。頭が上がらない。
心配しないように言ってくれたが、
逆に僕が悪い人だったらどうするんですか、と訊く。
いやあちゃんと身元は学生証みせてもらったし。
ありがとうございます。本当に。
十数日ぶりの、天井のある眠り。

おやすみなさい。



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